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  • 執筆者の写真田中

文章を書く練習の大きな間違え

更新日:2023年12月1日


これまで、学校や塾で文章指導、進路指導、生徒対話に携わってきましたが、それらの経験を通して感じるのが、「話す」ことの重要性についてです。  OECDの学力テストでは、日本のこどもたちの書く力に関するスコアは他先進国に比べて低く、重点的な指導の必要性が叫ばれるようになりました。また、2020年の大学入試改革以降、総合型選抜入試や学校推薦型入試における小論文やレポート課題の割合は増加し、国語教育における書く力の重要性は増してきています。しかし、現在の国語教育、高等学校採択用教材を発行する出版社の小論文の参考書等を見る限り、日本のこどもたちの書く力は今後も高まっていかないのではないかと危惧しています。  小論文の指導書では、殆どの場合、型=文体をいくつも並べ、問題文に合わせていずれかの型=文体を使用せよという趣旨の指導が行われます。型=文体があることで、文の構成の仕方を知らない生徒は文章を書くための道筋を知ることになりますが、こうした指導では、本当の書く力や意欲といったものは身につきにくいと思っています。というのも、型=文体を強いられるということは、自分とは異なる人格を押し付けられるようなものだからです。話し言葉を想像すれば容易いと思いますが、人にはそれぞれ語りの癖があります。この癖はその人の特性や所属する体系に依拠していて、例えば、ある日からひろゆきの口語体だけで話すことを強いられれば、強い違和感に襲われ、次第に話すこと自体が億劫になっていくでしょう。柄谷行人がマルクスについて「思想家が変わるとは文体が変わるということにほかならない。理論的内容が変わっても文体が変わらなければ、彼は少しも変わっていない。」と述べるように、本来文体が変わるとは、その人間を根底から覆すほどの大事件です。この大事件を自明のごとく引き起こそうとする現行の文章指導法は根底から無理があるのではないかと思うのです。  現在の指導を仮に変えるのだとすれば、人間が「書く」に至る原理に立ち返り、はじめに「話す」を実践する必要があります。何かを「読み」、それについて他者と対話を行い、そこで話した内容について「書く」。このプロセスによって人は、自然と自分の話し言葉を書き言葉に、口語を文語に、置き換えていきます。「書く」前には、「読む」、「話す」といった他者を介した身体的な営みが不可欠です。2万年前に描かれたラスコーの壁画も同様です。2万年前の彼も、日常の営みを壁に描いた。描かずにはいられない日常がそこにあったはずです。  学校で文章指導を行う際、私ははじめに生徒が気になるニュースを読ませ、その内容について話し合ってもらい、そして最後に文章を各々が好きに書くというプロセスで指導します。肝要なのは、読んだ内容を、学友と話すことです。ここでの対話の質が高まれば自然と書く内容も深化し、文量も増えていきます(付随的ですが、対話空間が出来てくることで、相互理解が深まり、クラスの関係性も向上していきます)。文体を習得するまでに時間を要する手法ではありますが、このやり方を通して文を書くのが嫌いになる生徒はほとんどいません。むしろ、多くの生徒はこの時間では書き足りないと、書く時間を求めるようになります。確かに、文体をはじめに詰め込むやり方のほうが目先の点数的なものは上がりやすいのですが、こうした「読む」「書く」「話す」の三者を並列的にじっくり扱う指導を志しても良いのではないかと思う次第です。

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