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  • 一裕 中嶋

小論文の指導と文章表現について



今回は、小論文の指導についてお話ししたいと思います。

その前に、私の背景をお伝えすると、高校教師や塾講師として数々の生徒の文章を添削してきた傍らに、私自身国内外の学会で文学系の論文を発表してきた経験があります。


その観点から言わせていただくと、現在の多くの塾で行われている小論文指導、あるいは論文指導の指導上の根拠って何なのだろう?ということをよく思います。

というのも、小論文の指南書などを見ると、「たり表現は極力使うな!」だとか「起承転結を意識した書き方に注意せよ!」といった文言を目にするのですが、文章表現にはそもそも「~するな!」「~せよ!」というようなルールめいたものは存在しないにもかかわらず、何を根拠にそんなこと言うの?といつも疑問に思うのです。

数々の文学作品を想起すればご理解いただけるかと思うのですが、宮沢賢治の作品には論文では使われないオノマトペが多用されますし、遠野物語のような物語作品では明確な起承転結はあまり見られません。

そんな中、日本語全てにして「文章とはこう書くべし!」と言い切るのは無理があるのではないかと、思ってしまいます。


ただ事情はわかります。あくまで大学に出す書類用に、公的な文章表現を教えているのだと、指導者の方たちは仰ると予想するのですが、ただ受験に必要なのはその一般的に公とされる文章表現で合ってる?と新たに問いたくなるわけです。

公と言っても様々あります。政治家が国会で使う文章表現。ビジネスメールで使う文章表現。儀式で用いられる言葉使いなど、公の種類によっても使われる表現は異なります。

それほど言葉や文章表現は流動的であり、確定したものはないのです。


ここで、話を大学受験用の文章指導に戻します。

では大学受験で必要な公的な文章表現とは何だろうかと考えてみると、これは学会などで使われる言葉がそれにあたるのだと私は思います。なぜなら、受験生が書いた文章を評価する人は学会で普段論文を発表する教授だからです。

教授が使う公的な文章表現、すなわち論文の様式に合わせる。

これが根拠として最も整合性があると私は考えています。なので、文章を指導する人間もまた、これを根拠にして高校生に指導するべきだと思うのです。


しかし、現状はそうではない。

今の文章指導の業界を見ると、指導は学生や一般の社会人経験者が担います。しかし、その多くが論文をまともに書いたことがないままに指導を行っています。

状況としては、ソフトボール経験者が、未経験者に対して野球の指導をしているような感じなのだと思います。

そんな状況で果たして野球は上手くなるのでしょうか。

バットの振り方や、グローブやボールを使うところは似ていますが、それ以外はかなり違います。

このように、大学に提出する書類を仕上げるのに、大学向けの文章をたいして書いた経験のない人が指導するって変じゃない??といつも思うのです。

文章が上手いと言っても、ビジネスメールを書くのが上手い人、ドラマの脚本を書くのが上手い人、論文を書くのが上手い人、手紙を書くのが上手い人、様々です。

その辺りの細かな場合分けを無視して、学生や社会人に指導をお任せするのは本当に良いのだろうか。


ただ、このような現状は、ここ10年くらいで総合型選抜入試(旧AO入試)の需要が急激に高まり、それに対して教える人間の数と質が圧倒的に足りていないという状況を示しているだけなのかもしれません。今後は変わっていくのでしょうか。

いちはやく良い環境が整うよう願うとともに、我々のラボでもできることを最大限行っていきたいなと思っています。


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