なぜ探求はうまくいかないのか?


こんな記事がありました。


今年度必修の「探究」、教員の約5割が「生徒の質問に答える時間や人脈がない」=トモノカイ調べ=

ict-enews.net

私も高校では3校のゼミ活動に携わりましたが

探求を行っていると

生徒の興味分野が多岐にわたっていくので

その対応やサポートの幅が広がるという事が

言えると思います。

(代わりに、生徒のやりたいこと

興味分野と向き合えるので、

とてもやりがいのある活動です。)


そうなった際に、ネックとなるのが

先生達の探求の指導を行うスキルの低さです。

ニュースのデータが示すように

多くの先生が「探求」ならではの

指導上の答えのなさに当惑します。


しかし、この先生の戸惑いは

本当に時間や人脈がないことだけが原因なのか。

疑問に感じる所です。


こうした問いに対する答えとして

筑波大学大学研究センター稲永由紀氏による

『「総合的な探究の時間」の指導を支える教員の学術経験:学士課程教育をめぐる状況と教員養成上の課題』と題されたワーキングペーパーが参考になるかと思います。


「総合的」な「探究」の過程は、現在の大学での学びの過程そのものであり、単純に考えれば、大学で卒業論文や卒業研究などを通して適切な学術経験を得ていれば、「総合的」な「探究」の過程の指導の根底を支える経験を得ることは可能である

https://www.rcus.tsukuba.ac.jp/information/Rcus%20Working%20paper%20No_12.pdf

つまり、

「自身で問いを立て、論を立てる」

という探求の過程は学術経験の過程と同じで

この経験が不足する先生は

探求指導に対して難しさを

感じてしまうということです。


問いや論を立てる力は

学術経験以外でも得られはずですが

「探求」を行うと必ずと言ってよいほど

学術的な専門性には突き当たるので

学術経験があれば良いというのは

概ね正しいのだと思います。


ただし、

今の教員養成が教科書の指導を中心に

構成されていることを考えると、

先生を志す人たちが

学術的な経験を大学在学中に得るのは

現状の制度のままでは難しいでしょう。


今年から探求が本格導入されましたが、

導入するのであれば

現状の先生たちの特徴を加味し、

外部委託の制度や研修制度を

整えた上で行うべきだったと思います。


Twitterの教員達による悲痛なツイートが

物語るように日本の教育は危うい領域を歩み続けています。

これを本当に打破するのであれば

学校や現行制度といったある種の共同体の外に

一度、目を向けるべきなのかもしれません。